訓練は急ピッチで行われなければならなかった。時間は無い。シミュレータとマニュアルと使っての講義は詰め込み式で行われた。 ギルダーは生来、勤勉な質である。だからこそのエリートであったが、たとえ怠惰な性格のものでも、この時ばかりは怠けるわけにはいかなかっただろう。 ジャブローは地下深くに作られた巨大要塞である。それは一見すると外界から切り離されたモグラの巣穴にも似ている。が、ジャブローは地球連邦軍最大の拠点である。絶えず外部からの情報が士官たちの間に飛び交い、その多くは喜ばしい報告ではなかった。戦時中である。どこの戦力も逼迫している。その中でジャブローで準備されているモビルスーツ・GMの部隊は半ば救世主的な期待を集め始めていた。訓練が終われば、まず激戦区送りは免れまい。訓練にも身が入らざるを得ないというものだ。 とはいえ、愚痴はある。 「てんでバラバラなのさ、言ってることが」 軽口を叩いたのは同僚のケント・マーテロだ。 「教官殿の経験だけが訓練指導の頼りだからさ。人が変わるたびに別々の基本を教え込まれて、これでどうしろってんだい?」 黎明期の訓練である。教本は無い。モビルスーツ戦の実績があるという数少ないパイロットが教える側に回り、自分が生き延びた方法を持って王道とかセオリーとか言う呼び名で説明する。と、なればマーテロのぼやきも無理は無いことだった。ギルダーは肩をすくめた。 「もう少し後の時代に生まれればよかったんだろうが、お互い、ドジをしたな」 笑うしかないのだ。学生時代には歴史学を専攻した。その知識と照らし合わせてみても、黎明期には出鱈目をやるしかない、ということが一つの真理である。ギルダーとしては、苦手な状況だが、どうやらそういうことらしかった。 シミュレーションが終わり、実機による訓練が始まろうという丁度そのころ、ギルダーの腕から包帯が消えた。要領が悪いな、とマーテロが笑う。休む暇もなかった。 物言わぬ巨人……モビルスーツの姿もこの頃には見慣れたものとなっていた。パイロットが乗り組まず、機動さないままの白い巨体は石像を思わせる。このまま博物館にでも送られれば、ちょっとした見世物になるだろう…。ギルダーはそんなことも考えた。問題は、18メートルの巨人を飾って置けるスペースを遊ばせた博物館があるかどうかだ。 GMの胸部ハッチが開く。コックピットの敷居をまたぐと、流石に緊張感が走った。鉄の臭いが鼻につく。座席に着くと、ゆっくりとハッチが閉じられた。狭く、暗い。これがもビスルーツの心臓だ。唐突にそう思った。そしてここにいる以上、もはや逃げ場は無いのだな……。 深呼吸。のどに嫌な空気が充満したが、気にしなかった。ヘルメットをかぶる。ノーマルスーツ越しにスイッチに触れる。少し、震えた。 メーン・スイッチを入れる。電子音と主に明かりがともった。 「ヒュウ!」 外からその姿を見物するケント・マーテロは口笛を鳴らした。GMモビルスーツのカメラ・アイに光がともり、チタニウムの脚が一歩、進み出て大地を踏む。同時に腕部が前に突き出され、マニピュレータの拳が無造作に広げていた指を握り締めた。 マーテロに詩人の素質があれば、こう言ったことだろう。まるで、石像に命が宿ったようだ…と。 その命を吹き込んだギルダーは、正面を凝視するのに手一杯だった。コックピットは狭く、歩くたびに激しく揺れる座席は決して快適ではない。 「動けるのか…?」 モニターが映す画面が揺れる。操縦桿を押す。操縦系統は戦闘機に近い、ということになっている。シミュレータでは確かに、そうだ。 「この揺れは、聞いてないぞ!」 何が仮想訓練だ! 思わずぼやいた。戦闘機の比ではない。重力の存在を忘れていた。 「静止しろ。ギルダー少尉。私が模範演技を見せる。後について来い」 カメラ・アイが映し出す教官機は前傾姿勢で走って見せた。時に、飛び跳ねたりもする。突然、移動方向を変える。背中に背負った推進装置で一気に加速する。回避運動という奴だ。脚部と擦れた大地が煙を上げ、それが晴れるとモビルスーツの姿は既に遠く、小さく映っていた。やり方はわかるが…。一歩ごとにジャブローが揺れるほどの地響きだというのに、あの軽やかさはどういうことか? ぎこちない動作でギルダーのGMは後を追った。時折、動作が遅れるのはギルダーの判断が遅いためだ。動作システムの半ばは自動操縦に助けられている。で、ありながらも操縦は楽でない。体を襲う振動の中で、限られた視界から現状を把握し、対応する。それは全て、ギル・ギルダーの肉体が行うことである。マシーンではない。 『子供がはじめて歩くときが、こうだろうか…?』 訓練は続いた。 兎も角も、これを自在に操ることができなければ、話にならない。まだ、戦闘行動といったレベルの話ではない。 誰も、状況は同じようなものだった。ジャブローの地下深くで、パイロット候補生たちは汗を流し続けた。出撃までに、歩き方を、戦い方を、そして生き延びる方法を身につけねばならない。 その出撃は、予定よりも早く、唐突に訪れた。 戦場は、ジャブロー。 ジオン公国軍の大部隊が、地球連邦軍の本拠地へと、侵攻を開始したのである。 パイロット候補生は全員、非常出撃となる。 なじんだはずのコックピットが普段より更に狭い。動悸が高まる。戦闘機パイロットとして出撃した、あの日もこうだったか…? 「敵モビルスーツ部隊の降下を確認」 オペレータが伝える。ならば、敵はザクだ。 恐怖は、ある。操縦桿をすがるように握り、額をこすり付けんばかりに縮こまった。訓練は順調だった。それなりの成績だったはずだ。が、そんなものが何の役にも立たないことは、先の初陣でわかっている。 「ギル・ギルダー少尉、GM 発進準備、いいな!」 来た! のどが詰まった。顔を上げる。即答は出来ない。 「ギルダー少尉、どうした!」 「ハ……! こちらギル・ギルダー少尉。出撃できます」 上ずった声で答えてから 計器盤を確認する。続いて、頭の中に叩き込んだマニュアルの確認。問題なし、だ! 『怯えるな……!』 「敵モビルスーツ宇宙船ドックに侵入しようとしている。各個に敵を撃破し、侵入を阻止せよ!」 イヤホーンががなりたてる。ひどい指令だ。所詮、緊急発進に秩序だった作戦もあるまい。そう思うと、自分を包んでいた硬い殻……緊張が緩むのがわかった。 守るべきセオリーも規律も無い。そういう戦場だと割り切ったのだ。 「GM、発進せよ」 「了解!」 自らを鼓舞するため、口に出して宣言した。 「ギル・ギルダー少尉、GM、出撃する!」