観る前と観た後でこれほど印象の変わったアニメも珍しい。
機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争。
観たのは割と最近なのだが、すでに小説版を読んでいたこともあり、ゲームなどでもおなじみだったため、大まかなストーリーは把握していた。
戦争の空しさを訴える「悲しい物語」
そんなイメージを抱いていた。
しかし観終えた後に抱いたのは「悲しい物語」というより、「後味の悪い物語」という感想だった。
誤解を招きそうなので先に明言しておくが、0080は決して「つまらないアニメ」ではない。
美しい映像や音楽と共に描かれるアル、バーニィ、クリスの交流は「ガンダム」など忘れてしまうほど魅力的。
「作られた世界の中で…」と歌う主題歌と共にコロニーの風景が映し出されるシーンなどは本気で心がときめいた。
最高だったのは核攻撃にさらされるコロニーを見捨ててバーニィが「フランチェスカ」なるコロニーに逃げだそうとする場面。
偶然相席した女性が、電話先の相手(別れた恋人だろう)に対し、まるでバーニィの心境を代弁するような言葉を漏らすのだ。
「全然酔ってなんかないわよ酔えるもんですか…
何よ嘘ばっか言って
…行きたくないわよあんなとこに…
フランチェスカなんて…フランチェスカなんて最低のコロニーじゃない!
今度の女もすぐバレる嘘ついてたらしこんだんでしょ。
私の時と同じ。嘘を言い通す根性もないくせに」
バーニィとは全く関係の無い会話だというのに、つむがれた台詞はまるでバーニィの心理を表したかのような言葉。
これぞストーリーテリングの技術というべきか。
アルに嘘ばかりをついて、結局逃げ出してしまう自分の姿を振り返り…
そしてバーニィは戦いの決意をする。彼はガンダム世界でも有数の男前キャラだ。
では、なぜ「後味が悪い」のか。
最後にバーニィが死んでしまうから? 違う。
それは、0080が描くテーマ自体の問題なのだ。
機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争は、ガンダム作品の中でもっともシリアスに「戦争」を扱ったアニメであると言われている。
だが、このアニメが描きたかった最大のテーマは「戦争」よりも「戦争アニメの批判」だろう。
ご存知の方も多いだろうが、0080には戦闘シーンがほとんど無い。
序盤こそ特殊部隊による基地強襲など、ミリタリーテイストたっぷりの戦闘シーンも見られるが、逆に言うとそれぐらいしか「格好いい戦闘シーン」は存在しない。
後の戦闘は、ただ淡々と弾を打ち合うのみで、ヒロイックな雰囲気はカケラもない。
ストーリー的にはひとつの目玉といえるはずのアレックスとケンプファーの戦いすら、ガトリングガンを撃つだけで終わってしまう。
その一方で戦争を「格好いいこと」だと思っているアル少年を主人公にすえて、彼の視点から物語は進んでいく。
彼を待ち受けているのは格好いい戦いでも切ないドラマでもなく、ただ悲惨な殺戮劇。
親しい人たちが無意味な戦いの果てに殺しあう。悲劇と呼ぶにはあまりに無残な結末である。
そう。アルフレッド・イズルハは「戦争アニメを楽しんでいる視聴者たち」の分身である。
リアルな戦争アニメ。兵士たちの悲壮な姿。それを娯楽として楽しんできた「ガンダムファン」そのものである。
だから、0080はガンダムファンに対するカウンターパンチとして製作されたアニメではないかと思う。
極端に言えば「ガンダムなんか見るんじゃない!」というメッセージが感じられるのだ。
それをはっきりと感じ取ることができるのはラストシーン。
バーニィが死に、クリスも重傷を負った上にコロニーを去り、戦争が少しも格好良いものではないことを知ったアル。
戦争の終結と、平和の尊さ。犠牲の大きさについて語る校長の言葉。
今まで、単なるお題目に過ぎないと思っていたその言葉の意味を、アルはようやく理解した。
だが、彼のクラスメートたちはそうではない。
「戦争はまたすぐ始まるって。
今度はさ、もっともっと派手で楽しくってでっかいやつだぜきっと」
彼らはバーニィのことなど知らない。
バーニィが、ポケットの中の戦争が教えてくれた大事なことは、アルにしか伝わらない。
未だ戦争を格好いい娯楽だと思っている友人たち。
何も変わらない。思わず涙するアル……
ここまでであれば、私は「美しい悲劇」として0080を楽しんで終わりにすることができただろう。
0080の最大の山場はこの直後に訪れる。
それは、音楽の演出。
悲しい曲の一つでも流しておけば無難に終わったところを、なんと、楽しげなBGMと共にこの物語は幕を閉じるのだ。
「めでたし めでたし」
というテロップでも流れそうな曲調。思わず耳を疑った。
救いの無い心境のアルに対してこの曲は無いだろう?
戦争を娯楽にしていた子供が不幸になって、それでめでたし、めでたしなのか?
二度と観たくないと思った。
おそらく、スタッフの狙い通りだろう。
悲劇は、娯楽である。
悲しい結末であっても、それが美しいものであれば人々は涙を流しながら悲劇を「楽しむ」ことができる軽薄さを持つ。
0080は、何度も観たくなるような「美しい悲劇」ではない。ただ、悲惨なだけだ。ミンチよりひどい。
スタッフは、戦争というテーマに真正面から取り組んだ結果「二度と観たくない」と思うようなアニメを作ったのだろう。
嫌悪感すら誘う楽しげなラストの曲は、その仕上げなのだと思う。
戦争アニメを美しい思い出にされてたまるか! そんな声が聞こえてくる気がする。
このアニメが好きか、と聞かれれば、私は即答できない。
好き嫌いを即答できなくなるほど、重いテーマを扱った作品である。
余談ながら、アニメ視聴の前に読んだ小説版では、バーニィが奇跡的に生き残った、という話が最後に付け足されていた。
作者自身、あとがきで「一流の悲劇を三流の喜劇に変えてしまった」と書いているくらいで、読んだ当時は「なんて無粋な真似を!」と思ったものだ。
だが今ならば、思わずラストを改変してしまった気持ちもわかる。
それくらいのことをしなければ、この物語は娯楽として楽しめるモノになりえなかったのだ。
それくらい、救いの無い話だったのだ。
余談ついでにもう一つ、別の視点からの話を。
0080にはさまざまなモビルスーツが登場する。
そして皮肉なことに、出渕裕氏によってリファインされた数々のモビルスーツは非常に「格好いい」のだ。
寒冷地用ジム、ジムコマンド、ジムスナイパーIIなど、鋭角的なデザインで描かれたMSは今でもガンダムファンの間で人気がある。
戦争の格好良さを否定しようとした0080の中にあって、格好良さを強調するようなMS群が人々の心を掴んでいる…。
これは結局、人間が戦争の…「戦い」の格好良さから逃れられないということを暗示しているのではないだろうか?
少々に大げさすぎる言い方だが、少なくともかなりの皮肉であることは間違いないだろう。
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