「そこまでやるのか、マヤリトは!」
とはジョゼフ・ヨットの叫びだが、マヤリトは本当に何故そこまでやったのだろう?
古き王を殺すことで新しき王が誕生する。
アデスカに伝わる世代交代の儀式のため、矢を受けるクワウトル王。
その王に付き添い、最期を共にする従者の少女マヤリト。
王はともかくとして、未来のあるマヤリトまでが死を選んだのは何故なのだろうか?
視聴者としては、二人の間に語られざる深い結びつきがあったのだろうと推測するしかない。
それで終わりにしてもよいのだが、ここは一つ、∀全体のストーリーの中から、マヤリトの行動について深読みをしてみようと思う。
そもそも、マヤリトとクワウトル王の登場するマニューピチ攻略編は、「他に類を見ないガンダム」といわれる∀の中でも特に異彩を放つエピソードである。
古代の暮らしをそのままに伝えるアデスカの民の姿は、時期的なこともあって「これって"ガンダム"じゃなくて"もののけ姫"?」と思ってしまう。
主人公のロランでさえ「あれは夢だったのだろうか?」とモノローグで語っているほどだ。
しかし、∀全体のストーリーにとってマニューピチ編が単なる蛇足だったかというと、そうでもない。
ロラン達が月へと上がる直前のこの時期、地上の古き王を描いたことには明確な意図がある。と、思う。
なぜなら、物語の中心となるキャラクター、ディアナ・ソレルが、高度な文明の中で人間としての正常な生き方を失った「月の女王」だからだ。
月の文明の特徴を一言で言い表すなら、それは「永遠」ということである。
永遠の平和。闘争本能を刺激せず、戦争の記録を「黒歴史」と呼んで封じ込め、1000年もの月日を戦争なしで過ごしてきた人々。
平和主義の理想にも思えるこの文明はしかし、人間の持つ本能である闘争本能を無理やりに押し込めた、歪んだ文明でもあった。
永遠に変化しない文明でもあった。
その際たるものが月の象徴である女王、ディアナ・ソレルである。
永遠の象徴であるディアナは、人口冬眠によって「不死」に近い年月を生き続け、月の民の拠り所となることを宿命付けられている。
そして不死なるものの悲しき宿命として、彼女は人を愛することができない。
子を残すというのは、死を受け入れる生き方であり、永遠にいき続けるモノが子を作る必要は無いからだ。
初代ウィル・ゲイムとの間に起きた悲劇については、いまさら語るまでも無いだろう。「月の永遠」の体現者である彼女が男と結ばれ、子を作ることは許されないのだ。
対する地上の古き文明は、血を流して世代を交代させる。
古き王の胸に剣を突き立て、新しき王が誕生し、その新しき王もいずれは次の世代によって排除される。
永遠の平和を謳う月の文明と比べて、なんと野蛮なことか。
血を流し、争うことで歴史を作る。まさに黒歴史そのものである。
だが、死にゆく人々は自然の摂理のとおりに人を愛し、子を残す。そして徐々に変化していく。
野蛮な黒歴史と、歪んだ月の平和。
この見事な対比が、やがて「黒歴史を封印するのではなく、受け入れた上で新たな時代を」という終盤のテーマにつながっていく。
マヤリトは死んだ。
その瞳には、一片の曇りも無く、迷いも無い。
自らの行為の必要性を、尊さを信じているのだろう。
それは血を流して世代を交代させることの尊さ。
変化していくことの尊さ。
摩擦を生じながらも新しい時代を築いていく尊さである。
それを知っていたからこそ、マヤリトは命をかけた。
儀式を成功させるため、そして儀式の持つ意味を肯定するために、最後の最後まで王を傍らで支え続けた。
ジョゼフが何を言おうとも、そこまでやらなければならなかったのである。
終盤ではそのジョゼフも人の親になる。
戦功を上げて胸を張れる父親になりたい…という思いのあまりか、先走って失敗してしまう彼だが、フランとの間に生まれた子が大人になったとき、再び彼はマヤリトのことを思い出すのではないだろうか。
次の世代とどう関わっていくか。人間にとっての永遠の課題を思い出すのではないだろうか。
頑固者のジョゼフだから、きっと親子喧嘩もするだろう。
子が親を撃つようになっては黒歴史そのものだが、親が子に無関心でないなら、摩擦は生じて当然のものだ。
うまく折り合いをつけながら、良い父親になって欲しいと思う。
それがマヤリトへの弔いにもなるだろう。
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