CenturyColor〜∀ガンダム


 諸君、私は∀ガンダムが好きだ
 (略)
 よろしい、ならばCENTURY COLORだ

 と、いうわけで∀の曲について語らせてもらう。


 ∀の音楽にはある種の「古さ」がある。
 古臭い、というのではなく、懐かしさを感じる曲。
「ああ、忘れてたけど、こういう雰囲気がどこかに在ったんだよな」と思わせる。そんな曲だ。
 第一期OP「ターンAターン」が力強く人の原点への回帰を歌い上げ、「アウラ」が切なく少年たちの心を描写し、「月の繭」が圧倒的な存在感をもって20世紀最大の寓話を総括する。
 そして直後に流れる最終話限定ED曲「限りなき旅路」の希望と活力に溢れた歌詞は見る者の心を震わせる。
 活劇と御伽噺を同時に味わっているような、新しくも懐かしい感覚。それがターンAの「色」だろう。

 そんな中、一つだけポツンと浮いた曲がある。
 CENTURY COLOR。
 衝撃的な歌だった。
 ∀ガンダム第二期OP曲。それはあまりに「異質」な存在だった。

 CENTURY COLORとの初遭遇の瞬間は今でも覚えている。
 DVDで観ていたにも関らず、「あれ? CMが入ったのかな?」と思った。それが「∀ガンダムの新しい主題歌」であると理解するまでに10秒ほど時間が必要だった。

 第一印象は
「なんじゃこりゃ」である。
 あまりに浮いていた。
 現代的で爽やか。どこかのビジュアル系バンドの歌のよう。
 よくある「アニメとは関係ないタイアップ曲」そのものの印象だった。
 ∀のファンの中にも「CENTURY COLORだけは受け付けない」という人は結構居るらしいが、それもわかる。
 私自身、慣れるまでは嫌で嫌で仕方が無かったし、「ターンAターン」と比べてどちらが∀らしいか、と言われれば迷うことなく「ターンAターン」を選ぶ。
 だが、ここで「何故CENTURY COLORという歌が採用されたのか」を考えてみるのも一興ではないだろうか。

 既に完成されつつあった「∀の色」を崩さずに、同系の歌でまとめることも可能だったはずだ。何故「あえて」CENTURY COLORなのか。

 私論だが、やはり∀の持つ「全肯定」というテーマがその大きな原因だろうと思う。

 初代から∀までの20年間で、「ガンダム」を取り巻く環境は大きく変化した。
 いわゆるアニメソング的でない、J-POP的な主題歌を採用した「ガンダム」も少なくない。
 そして「全てのガンダムを肯定しつつ、今までに無いガンダムを作る」というテーマを背負った「∀」は、当然、それらをも肯定する必要があったのだ。

 もっと言えば、CENTURY COLORの無い∀は、お上品すぎる。
 綺麗にまとまりすぎているのだ。
 綺麗にまとまっているということは、どこかを切り捨てているということだ。

 だから、「∀の色」を破壊する危険を冒してでも、CENTURY COLORでなければならなかったのだと思う。

 結果、CENTURY COLORによって∀の魅力はまた一枚、厚みを増したと思う。
 御伽噺のような懐かしい曲だけではない、こんな現代的な曲も∀の中にはあるんだ、という魅力。
 「全肯定」の懐の深さを感じさせる存在とでも言うべきか。

 そう考えると、CENTURY COLORの持つ意味はとてつもなく大きい。
 アニメの中身だけでなく、それを取り巻く環境をも全て含む形での全肯定と全否定(今までに無いものの創造)が∀のテーマである、と宣言しているようなものだ。
 では、ガンダムを取り巻く環境とは何か?

 20年の時を超えて愛された一つのアニメ・シリーズを取り巻く環境とは…とどのつまり、人間のあらゆる活動を含むことになる。
 だから、∀の最大のテーマは「人間の肯定」なのだ。
 ∀にも勿論、悪役は存在する。だが、「否定されるべき存在」は見当たらない。
 そして完璧な人間もいない。
 悪い部分は悪い。けれど愛すべき人々がそこにいる。

 人は「否定されるべきもの」を描くのが好きだ。
 それは自分自身の中に「否定されるべきモノ」があるからだ。
 自分自身の醜い部分を作中の誰かに投影して、それを否定する物語を作ることは容易い。
 だが、∀はそうではない。
 肯定、という壮大なテーマを見事に描ききった名作だと思う。

 ∀の放映から既に7年。
 当時は「ヒゲ」「イロモノ」と嘲笑の対象となっていた∀だが、最近は再評価されつつあり、DVD-BOXも発売されるとのこと。
 未見の方は、この機会に是非、観てみることをお勧めします。